
学歴に対する発言を聞いて感じたこと
先日某政治家の発言が少し問題になったようです。
内容は学歴に関する話で発言が高卒を馬鹿にしたように解釈されてしまったというようなことだそう。
有名人もそこに対し言及するような事態に発展し結果的に本人も謝罪をするというかたちになりました。
自分には学歴がありません。
今回は別にその発言に対して不快な思いをしたとかそうゆう論点ではありません。
高卒うんぬんの話題だったことにより、それが少し考えるきっかけになったのです。
自分は高校を出てすぐに就職しました。
それこそ今回の問題の発言は大学を中退することによって学歴としては高卒となってしまうことがどうこうという話でしたがそれで言えば自分は入学したことも受験したこともない純粋な高卒です。
そんな浅学菲才な私は今このように文章を書くということをしていますがやはり表現力、文章力のなさに日々情けなさを感じています。
ボキャブラリーも少ないし文章とは頭の良し悪しがはっきり出るものだなと感じます。
まるで書けば書くほど自分はバカですというようなもんですからつらいものです。
賢い人の話を無料、気軽に聞けるような時代で気付けば自分も賢くなれたような気がしているけれどやはり自分でイイ話ができるのには程遠い。
何でも努力すれば上達するのでしょうから頑張っていきたいものです。
近年では学校はオワコンだと言われるようになり、学歴も昔ほどステータスにはならなくなっているようです。
これは自分のような人間には追い風で昔よりもよっぽど希望があるし、今の時代で学歴を理由に諦めてしまうのはあまりにもったいない。
情報が民主化し、学歴がない人でも成功者が生まれるようになっています。(知らないだけで昔からそんな人はたくさんいたのでしょうが)
そして自分と同じような境遇からでも魅力的な人生を歩んでいる人間を見ながら励みにしてきました。
しかし学歴はなくても大丈夫だと青臭く信じてはいるものの多少の葛藤はありますね。
そしてもう一つは受験戦争で勝ち上がれるようながむしゃらに勉強すること、やり切る力について。
誘惑、遊びたい、ゲームしたいのを我慢してときに犠牲を払い頑張りぬくことがその後の人生につながるのかなとも思ったりします。
どんなことにも言えることで人生の中では一瞬の何か月かの頑張りでその後の一生が変わるということもあるのではないでしょうか。
なので反面教師としての思いもあり書きました ↓↓
またこの時期をきっかけにそんな学校のかたちも変わって行きそうですね。
古き悪しきものは変わって行くのでしょう。
現代では選択肢がたくさんあるようですからより合理的に生きていくほうが得と言えるでしょうね。
この問題を通してそんなことを考えていました。
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