
自分には難しいことだからこそ、人の気持ちに寄り添うことができる
自分はブログを書くときに少し背伸びしたことを書くことが多いです。
○○を○○する方法、何々のメリット○選などといったことを書くのですがときにエラそうな言い方になってしまうわけですね。
そいったノウハウや自己啓発を発信することはその道を究めた人、成功した人でなくちゃいけないのかなと思うときもあります。
「○○のメリット何選」ということはそのメリットを相当知り尽くしていたほうがいいだろうし、「○○の方法」というものを書くのならそのことを実践し成功していなくちゃいけないのかもしれません。
かといって誰も自分の事なんかには興味がなく、自分自身で見てもらえるような面白いこと生み出して書くことはできません。
なのでそういった葛藤はある反面、崇高な人間ではないのである程度は割り切って書いているところもあります。
しかし、だからこそのメリットもあると思います。
自分には少し難しい、まだ自分でもできていないなと思うようなことだからこそ、今からそんなことを実践して現状を変えていこうとする人の不安や葛藤する気持ちがよく分かるのです。
新しい環境に飛び込みたいとは思ってはいるものの飛び込めない、挑戦できない、物事を継続できないなどですね。
情報はあふれている
とはいえ、現状を変えたいと思ってそんな情報に触れると思うのでそんなそれぞれが思うなりたい姿に実際になれた人、成功した人の話を聞きたいのかもしれません。
しかし、現代では似たような情報が溢れていてみんな言っていることの本質は共通しているということもあります。
コモディティ化していて情報そのものには価値はなくなってきているという一面もあるのです。
そして、頑張れる人、体の強さは人それぞれ違っています。
よく強者の理論などとも言われたりしますが人によって精神論で頑張れる人もいれば、打たれ弱い人もいるのです。
うさぎタイプの人もいれば亀のタイプの人もいます。
もちろん自分に合った発信者を選ぶとは思いますが発信者には簡単にできることでも受け取る側から見れば再現性の低いものも中には含まれているかも知れません。
人によっては成功者の理論を振りかざされるように感じたり、冷たく感じる人もいると思います。
最初から成功した人はいない
今成功している人でも、成功にとらわれず人生を幸せそうに生きている人でも最初はその他大勢と同じ苦境を乗り越えてきた時期があるはずです。
環境を変えろ、付き合う人間を変えろ、時間は平等だから工夫して作り出せなど、よく言われるようなことでも最初からできていたという人は少ないと思います。
また、成功者でストイックに見えている人でも実はゲームをたくさんしてしまい仕事が後回しになって後悔したりするような一面もあり一般人と同じような感覚を持っているはずです。
最初は会社の愚痴を言い合ってネガティブなことを言っていた時期もあると思いますし、習慣がつくまでに時間がかかったり、紆余曲折があった結果、今の姿があるんですよね。
住む世界が違う人、雲の上の存在なんていう言い方をするときがありますが今は遠い存在になってしまった人でも最初はその後ろを行く人たちと同じような悩みを抱えていたのです。
アウトプットとして発信
そういう意味で言えば「私には何も発信できることがないんです」という人でも自分に何の実績がない人でも実績がない今だからこそできる同じ悩みを持つ人の気持ちに寄り添った発信をすることができるのではないでしょうか。
成功者側、権力側に立ってしまったら、いくら弱いと言われる人間に寄り添ったとしてもどこか埋められない溝があったり、想像力が働かないということもあるのです。
また、自分自身がなりたい姿を発信することによって自分の中に落とし込むことができるということもあります。
自分ができていないことでも自分がこうありたいという気持ちを込めて発信する。
あまり現状の自分との差に乖離があるのは考え物ですが、発信してしまうことによって頑張らなくてはいけないという自分になる、身が引き締まることにもつながることもあります。
パブリックコミットメントという言葉がありますが宣言してしまってことによって何とかしてつじつまを合わせるしかなくなって頑張らざるを得なくなって結果を出すことにもつながる。
これはどんなことでも一緒ですよね。
それこそコロナウイルスの影響職を失った瞬間から動画を撮り始めてそこからのし上がるその過程を発信していく人もいるようです。
そうゆうリアルな姿に惹かれる人もいるのです。
そんなものが一つあってもいい
人一倍継続することが苦手だからこそ、何とか継続しようと創意工夫をしようとする人の気持ちもわかる。
自分の心の矛盾と葛藤している人の気持ちもわかる。
弱いからこそ同じような境遇の人たちの気持ちに寄り添えると思います。
成功した人間側から発信するのではなく、同じ視座からの発信、そんなものが一つくらいあってもいいのではないかと思います。
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