
大手チェーンレストランの閉店について思うこと
大手のチェーンレストランの大量閉店のニュースを見ていました。
コロナウイルスが猛威を振るっていて今はこういったことは珍しいことではなくなってきています。
閉店が増えている
個人でやっているようなお店も大手のチェーンもこのご時世ですから閉店、倒産も増えてきているようです。
しかし、最近に来て色んなお店の営業が再開したりと良い方向に向かっている印象があるのでこんなことが起こってしまうのは残念に思います。
地元では馴染みあるレストラン
今回ニュースに出ていたレストランは自分の地元、九州を拠点、西日本を中心に展開されていました。
子供の頃からよく通っていてかなり店舗数もあり、九州内ではほかのチェーン店をしのぐ勢力があったようにも思います。
大人になり関東地方に出てきたときに「こっちではあまり展開されていないんだな」と知り驚いた記憶があります。
自分の知っている世界のすべてだった九州ではたくさんあっただけに全国でも当たり前のように展開されているだろうと思っていたのです。
共感できる人はいないかもしれませんが全国的に共通の言葉だと思っていたことが実は方言だったんだと後から知ったときと同じような感覚のような気がします。
役割のある場所
どんな店、どんな建物や場所でも同じことですが街の中での役割というものがありますよね。
それは本来の目的とは違い、人が街で生きていく中で自然とできた役割でもそうです。
食べるところでも、飲むところでも実は食べたり飲んだりすること以外のほかのことにも価値があって街の人に愛されたりもする。
高級店でも大衆的なお店でもそうです。
そこに、共通言語が生まれみんなにとっての待ち合わせの場所となったりもする。
街の中にある噴水の前でも、大型スクリーンの下でも、お店の前でも本来の目的とは違う形で街に溶け込んでいく。
地元ではおなじみの待ち合わせ場所として定番化し愛されているということもありますね。
象徴的な場所だった
やはり反応を見ていると地域によっては「レストランといえばここ」というような存在だったようで特に飲食店の少ない地域を支えてきたようです。
自分にとってもそんな思い出のある場所だったと思います。
確かになくなっていくものがある
コロナウイルスの影響により、オフライン、オンラインそれぞれの良さに気付き、なくなるものはなくなっていくようです。
残念なことですが向き合っていきたい、そんなことを考えていました。
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