
自分の゛こだわり ゛が物事を遠回りさせることもある
私はこのようなブログをはじめ情報発信をしています。
自分のこだわり
「形から入るタイプ」
そんなタイプの人間がどんな分野においてもいますよね。
新しく始めることに対して準備万全にして取り掛かったり、綺麗にこなしていこうとしたり。
ランニングを始めるなら気合を入れて立派なウェアを買ったりとか。
自分もこのブログをはじめとする発信活動において ゛見た目゛ に注力しました。
しかし、そういったこだわりは実は正しいベクトルの向け方ではないことも。
注力するべきところ
何かの趣味を新しく始めるときでも仕事で新しいことを始めるときでも最初からイイアイテムやツールを買い揃える。
そのように自分をワクワクさせてくれるアイテムたちに囲まれることによってその新しく始めたことがより楽しくなったり、アイテムに投資したことによってやらなくちゃと思えたりもすることもある。
しかし、結局やらなくては意味がない。
ブログのカスタマイズにこだわっても結局投稿しなくては意味がない。
記事更新しないのならぐちゃぐちゃのデザインで書きまくったほうがまだいいのかもしれない。
我流か先人に学ぶか
自分の表現したいこと、自分流の譲れないこだわりがある。
それがときに弊害になってしまうこともある。
成功に近づく、より成功できる
自分の頭で考えることも大切ですがときに素直に人のアドバイスを受け入れることが大切なときもありますね。
変なプライドが高いと頑固に自分の意見が正しいと思い込んでしまうこともあります。
人のアドバイスを自分なりに改造してしまうことによって結局自分で考えた言動になってしまい成果につながらないということもあります。
そして、客観的な視点で指摘やアドバイスをしてくれるのは自分以外の人しかいません。
変なプライドによっては跳ね返してしまえば人が離れていくことにもつながります。
また、変なプライドが高いと感情で動いてしまい、合理的な判断から離れてしまうこともあります。
自分の実績や経験値を積んできたプライドがあるのは良いことかもしれませんが、過去の成功法則にとらわれるのではなく、時代に対応して行くためにも変なプライドは捨てておきたいものです。 引用:minorife プライドはいらない? 変なプライドを捨てることで得られるメリット7選
自分なりに考えだしてこだわったこと、それは今までの自分を作ってきた自分が考え出したやり方であって(もちろん自分自身も成長していくわけだけど) 先人が「このようにやれば失敗する」、「成功への型」、先に答えを出してくれていることをわざわざ自分で検証する必要もない。
自己流の変化球で勝負しようとして気付けば全く的外れなボールを投げてしまっていることもある。
自分のこだわりは後からでいいのかも
自分のこだわりは結果を出してからはじめて説得力が出てきて円熟味を感じさせるスパイスに変わるのかもしれない。
細部までこだわり抜いたものが一部の人間を強烈に惹きつける偏愛の結晶になるのかもしれない。
自分の変なこだわりが物事を遠回りさせることがある。
そんな一面もあるのではないでしょうか。
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